あつらえるということ

2013.11.13工房だより, 雑記Comment (0) - Trackback (0)

「まるで、あつらえたようにピッタリ」という言い回しがあります。
この言い回し、皮肉にも「あつらえる」ことが減ってきたことによって使われる場面が増えてきたように思います。
効率性を追求した大量生産品が世の中のスタンダードになっているせいでしょうか。

いいと思って購入しても、どこかしっくりこない部分がある、そんな経験ありませんか?
大量生産品は「大勢の人にだいたい合う」ように作られているからです。
大量に製造・販売することでコストを下げているため安く手に入れられる一方、なにせ「だいたい」なので、大なり小なり合わない部分があります。

だから
「デザインは好きだけど、サイズがちょっと大きすぎる」
「カバンに収めるのにちょうどいい大きさだけれども色が好みじゃない」
「この機能は好きなんだけど、デザインがいまいち」
「こっちの機能は使いやすいんだけれども、この機能はいらない」
なんてことが良くあります。
総体として気に入っている部分が多ければ大した問題ではありません。そのまま使い続けていいでしょう。しかし、自分にとってベストなものが欲しい分野の場合、部分的に満足感が得られなくて、もやもやしながら使い続けるということもあります。

「あつらえる」とは、使う人(特定の個人)に合わせて作ること。
作り手は、依頼主が「こうしたい」「ゆずりたくない」ことを優先して考えて作ります。
「あわない」サイズにはしません。「いらない」機能は付けません。「気に入らない」デザインや色にもしません。
あつらえたものとは、その人のためだけに作られたものになります。

頻繁に使うもの、いつも身近に置いておくもの、こだわりがあるものなどは「あつらえて」みるのもいいものですよ。
工場で大量生産した製品のように安くはなりませんが、あつらえたものには愛着が生まれ、長く使うことによってコストパフォーマンスが良くなります。
革のように経年変化する素材の場合、持ち主が質感や風格を育てる面もあって使い続けるほど価値を増すこともあります。
その価値はプライスレスですし、使い手にとってかけがえのない物になる可能性を秘めています。